エモいを言語化したら推しへのお手紙になってしまった
このブログの発端はこのツイートだ。
4年くらい前は水ボとかオンエア面白いな〜ってくらいのライトなYouTube視聴者だったけれど、彼らにコメントやリプをする用にアカウント作ってグッズ買ってイベ行って過去動画繰り返しみて毎日投稿楽しみにしてコアなファンになってるのなんかエモい(語彙力皆無)
— すそこ (@_cosocoso_) 2020年7月27日
この「エモい」を語彙力皆無なオタクが頑張って言語化してみる。
私は物心ついたときから、何かしらのオタクとして生きてきた。
中高生の頃は、深夜ラジオや声優、音楽など聴覚を主として表現するエンターテインメントを好む傾向にあった。大人になるにつれ、多くの映画やドラマを観たり、舞台観劇を好んだりする中で視覚を主として表現するエンタメの素晴らしさに気づいたのだ。
そして、YouTube動画上の表現の幅広さに感銘を受ける。数多くのYouTuberの動画を観るようになり、気づけば水溜りボンドという"コンビ"に心酔していた。
今まで私が追いかけてきたのはアイドルや役者だった。振り返ると板の上で繰り広げられるパフォーマンスやキャラが好きなだけであって、その人自身の魅力を感じて応援していなかったのである。
特にここ数年は現場に行っている自分に満足する現場至上主義なオタクであった。非常にタチの悪い自己満人間だ。
(もちろん好きな公演は生で観るのが最高だと思っています。自粛になってから生でエンタメに触れられることの有り難みをひしひしと感じる日々です…。)
今の私は心底、水溜りボンドという"コンビ"に惚れ込んでいる。
今までのオタク人生で初めての感情を抱いて応援している。なんとも筆舌に尽くし難いのだが、それは彼らが"YouTuber"という私が応援したことがないタイプの表現者であるからではなく、私が水溜りボンドという"コンビ"に魅了されているからだ。
彼らの魅力について語り出すと長くなってしまうので割愛するが、特に2人の台本のない掛け合い、雑談に魅力を感じている。水溜りボンドにしか醸し出せない空気感とそこで生まれる笑いが大好きだ。ドッキリや検証、大食いや最近の歌企画など、長年一緒にいて互いに理解し信頼している2人の関係性が垣間見える言動に、笑い、そして愛を感じる。
水溜りボンドの佐藤寛太と富永知義の2人が企画、出演、編集している動画が投稿されている世界線に生きていて良かった。
青学で出会ってくれてありがとう。
コンビを組んでくれてありがとう。
YouTubeを始めてくれてありがとう。
毎日笑いをありがとう。
今年はラジオを通して新しい一面を見せてくれてありがとう。
水溜りボンド2.0、これからも最高に面白なエンターテインメントを期待しています。
2人の幸せと健康を祈って。
すそこより
(2人へのファンレターになってしまった…。最後ありがとおばさんじゃん。愛が重すぎてキモチャリなのでこの辺で終わります。あ〜、QJ読み返そう。)